本好きの同僚が「読書はいいぞっ」っという話しをしていたので、オススメのエッセイを聞いた所、高島俊男先生の『漢字と日本人』勧めてもらったので、図書館で借りて読んだ。
新書通しでちゃんと読むの凄い久しぶりな気がする。
エッセイといっても、内容は割とアカデミック寄りな話しだったんだけど、
口語調で寄り道だらけなので、なんか居酒屋で蘊蓄を聞いているような楽しさがあった。
純粋に体系的な知識を得たい時は理路整然とした文体のがいいのだが、雑学にふった感じだとこーゆーのもええね。
最近活字離れが激しく、なろうを数話飛ばしながらパラパラ読んでるようなレベルだったので、いいリハビリとなった。
内容としては、中国から輸入されてきた『漢字』がどのように日本人に取り入れられて、そして変化していったか、といった歴史本で、
今日の漢字がなぜ今の形になっていったかが順を追って(寄り道しながら)綴られている。
個人的に面白いなーっとなったのが、漢音と呉音という概念。
我々は音読みと訓読みといった音の違いは、小学校時代に叩き込まれているので、ちゃんと覚えてるかどうかはともかく、漢字の読みには2種類あるんだなぁ みたいなのは実感あると思う。
音の響きだけあるのが音読みで、送り仮名が付いたりする意味のある読みが訓読み。
音(オン)は音読みで、音(おと)は訓読み。
クイズとか見てると音→訓になる熟語を重箱読みって言ったり、逆を湯桶読みといって、ひらめき問題とかのタネになってるので最近のが意識する機会増えた気がせんでもない。
んで、漢音と呉音は、どちらも音読みの種類の話しなんだけど、
漢字は長い時間をかけて中国から日本に入ってきたんだけど、
ちゃんとまとまって正しい音で入ってきたのは、平安時代の遣隋使や遣唐使といった当時のエリート中のエリートの留学生達が、日本とは比べものにならないくらい栄えていた中国で最新の文化や技術を学んで持ち帰ってきた頃の事で、
それまであったふわっとした漢字の読みを駆逐して、体系だった綺麗な読みに国策として統一していった。
この時に導入された読みが「漢音」。
ただそれ以前に入ってきたいた漢字も駆逐しきれた訳ではなく、仏教用語や医術用語なんかに残ったらしく、これが「呉音」。
とくにゆっくりと日本に渡ってくる過程で変化していった「呉音」はやわらかい音が多いというのだけど、
個人的には男女(だんじょ)が漢音で、老若男女(ろうにゃくなんにょ)が呉音、って例がめっちゃ腑に落ちたというか、
長年、これはそーゆーもんだ っと思ってただ覚えてきた漢字の特殊な読みに、こんな謂れがあって、
発音の系統としても明確に漢音と呉音で区別できる違いがって面白いなぁ ってなった。
ここ2~3年好きで読んでる漫画に『阿・吽』って平安時代の漫画があって、
空海と最澄が主人公なんだけど、この二人が遣唐使として当時の中国に留学して帰ってくる描写があるので、昔よりもこの辺の時代の歴史の話しが実感として飲み込みやすくなったし、興味も強まってるのもあった。
ここでは漫画だったりはするけど、色んな本読んでると、知識がリンクして、あの作品で見たやつだ って繋がっていくのけっこう好きだし、これも読書の面白さだなぁ。
京都市図書館
今回図書館で借りて読んだのは、別の資料返すついでではあったんだけど、返却期限があるので、ある程度強制力がかかるのがいいね。
まぁお金かけた方が損したくない みたいな強制力が働くみたいなのもあろうから人それぞれだけど。
うちの近所の図書館は地域の分館って感じの所で、蔵書数も6万冊くらいなので政令指定都市の図書館としては凄い小さい。
だけど京都市は21個ある図書館が1つのオンラインサービスで管理されていて、市内200万弱の蔵書から読みたい本を検索して予約すると、近所の図書館で受け取れる便利サービスがあって最高。
(まぁ他所の自治体の事はしらんので、じつはもっと便利とかなんかもしれんが)
手元にあるやつは向島の図書館から来てるらしい。
ありがてぇありがてぇ。
せっかくだしこの辺活用しつつ、読書の習慣を取り戻していきたいなぁ